CobaltDiary

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雑記④ 反論の認識

以前からよく「何事も否定から入る人嫌い」という意見をよく目にしていてなるほど確かにそうだとも思うのだが, やはり疑問も出てくる。

 

印象としては上記のような意見を言う人は大抵「自分の意見には全く反論されたくなく, かつ全面肯定して欲しい」といったある種わがままな考えを持っている人が多いというものがある。あくまでも印象の話ですが。

 

私個人的な意見としては, 自分の意見を述べた時に頭ごなしに否定されるのは確かに好かないが, 反論自体を嫌っている訳では無い。つまり私の話をしっかり聞いた上で自ずと出てくる疑問や反論についてはしっかりと受け止めて, それらを吟味し, 話し合い, お互いの理解が深まれば話し合いにおいてそれ以上良いことは無いと思う。
話を何も理解していないのにただ話を円滑に進めるためにウンウンと頷かれる方が好きではない。

 

相手の話を聞いて疑問と反論を言ったところ(もちろん悪意など全くない), 「お前は優しくない, いじわるだ」 という評価を受け困惑することがしばしばある。言い方には気をつけているつもりではあるのですが・・・

 

私は以前競技ディベートをやっていて反論を受けることには慣れているので感覚が鈍っているのかもしれない。そうでない方は自分の意見に疑問,反論をぶつけられることに「攻撃されている」と認識するのだろうか。確かに自分の意見に100%の賛同をされることは反論されるよりは気持ちいいことだろうし, そうしてくれる人を「優しい」と認識するのは何となく理解できるがそれはあまりにも視野が狭すぎる。また, そのように思う人で私のこの投稿に疑問, 反論がある方はぜひ聞かせて欲しい。

 

少なくとも話し合いや意見の述べ合いにおいては相手の意見に100%賛同した所で何も生まれないし, 意見が100%噛み合うような人とは話し合いをする必要なんてないのだからその話し合い自体無駄だと言えるだろう。

 

大切なのは「頭ごなしの否定」と「反論」をしっかりと分別し,使い間違えないようにすること, またそれらを言われた時は相手がどちらの意図で言っているのかをしっかり認識するべきだと思う。