CobaltDiary

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「輪廻転生 基礎の基」

輪廻転生(りんねてんしょう,りんねてんせい)という思想があります。日本だとこの思想は仏教独自の思想であるかのようなニュアンスを持たれることが多いが,古代インドのバラモン教(ヒンズー教の源流),古代エジプトなど仏教が創始される以前から存在する思想です。

 

今回は輪廻転生を以下のような章に分割して説明していきます。
第1章 輪廻転生の意味
第2章 輪廻転生の起源
第3章 輪廻には何が引き継がれるのか
第4章 仏教における輪廻転生
第5章 輪廻は本当にあるのか

 

[第1章 輪廻転生の意味]

 

まず,輪廻転生の意味について説明していきます。まず辞書的な意味だと輪廻転生は「死んだ後に何度もこの世に生まれ変わる」という意味です。また,輪廻転生は輪廻と転生の2つの語が合わさった言葉で輪廻は「生まれ変わる先は人間とは限らず,動物や虫などにも成りうる」という意味で使われることが多いです。そして転生は「生まれ変わる先が人間のみに限定される」という意味で使われることが多いです。輪廻の語源はサンスクリット語サンサーラ(संसार)で,リンネという読みは連音によります。これは「流転」というニュアンスが強いです。転生は英語のReincarnationの訳語です。これは「再生」というニュアンスが強いです。

 

 

[第2章 輪廻転生の起源]

 

輪廻転生の起源は古代インド(仏教誕生以前のインド)に遡ります。古代インドではバラモン教(後のヒンズー教)が伝統的な宗教として広まっておりバラモン教では輪廻という言葉は用いられませんが,「五火」「二道」という言葉で生まれ変わりの理念が表現されています。また,バラモン教での輪廻転生では「業(カルマ)の法則」というものが基本です。カルマとは生前の行動,行いのことを指します。
バラモン教では上から順にバラモン,クシャトリヤ,バイシャ,シュードラと続くカーストによる身分制度を重要視しており,バラモン教にとって輪廻転生の考え方はその身分制度を裏付けるものでした。まず,古代インドでは生まれ変わる先は生前の行い,すなわちカルマによって決まるとされていました。これを「因果の法則」といいます。つまりシュードラに生まれ変わった者は生前の業が悪かったからでありバラモンに生まれた者は業が良かったからであり身分の違いは当然のことである,といった感じで生まれ変わりの考え方は身分制度の正当性を固めるものとなったのです。

 

 

[第3章 輪廻には何が引き継がれるのか]

 

ヒンズー教(バラモン教)では,人間には肉体とは別に存在する霊魂(アートマン)がありそれが引き継がれるとされています。また仏教では永久不変の自分は存在しないとし,自分の心や意識が姿かたちを変えながら生まれ変わっていくとされています。この考え方は仏教独特のものです。

※「霊魂(アートマン)」とは肉体とは別に存在し,死後も存続すると考えている非物質的な存在。

 

 

[第4章 仏教における輪廻転生]

 

まずは仏教が創始される流れを少し説明します。仏教開祖のゴータマ・シッダッタはシャカ族の王子として生まれ,29歳で出家。そして森で6年間に渡る苦行を行い,苦行では最高の智恵(=悟り)を得れないと考え,ブッダガヤの菩提樹の下で瞑想し35歳で悟りを開きました。ブッダとなり人々に教えを説き,仏教となりました。また,ブッダは人間はにおいて苦悩がなぜ発生するのか,またそれをどうやって取り除くのかを特に探求しました。あらゆる苦悩は執着から生まれ,執着は無明から生まれます。必要のないものに固執し,不必要に求め,無明故に幻影の世界が作られ,それに欲望し,執着する。これが煩悩の正体にほかならないとしました。仏教では煩悩の発生を抑制し,輪廻から自由になること(=解脱)を至上目標とします。
ブッダは輪廻の正体は五蘊(ごうん)であるとし,これは「色」「受」「想」「行」「識」の五つの要素から成ります。「色」は色かたちあるもの,つまり物質。人間だと肉体のことです。「受」は感受作用,五感を通して感じる肉体的感覚や快,不快など,もしくはそれらを生成するシステムを指します。「想」は想念,つまり何かをイメージすることを指します。「行」は形成力,つまり心のエネルギーに形を与える作用を指します。例えば何かを論理的に思考したり,何かに集中したりする力のことです。「識」は認識,判断のことで,物事を総合的に認識し,価値や善悪を判断する機能です。ブッダは我々が「私」と思っているものはこの五つの要素の集合体に過ぎないとしました。これは,「私」というものがまずあって,それを分解したら五つになった,ということではなく,「私」だと思っているものはそもそも五つの要素が集まっただけのものに過ぎないと言っているのです。また,仏教では死後の生まれ変わり先を天道,人間道,修羅道,畜生道,餓鬼道,地獄道の六道としていて,これを六道輪廻といいます。生まれ変わり先はやはり業で決まります。ブッダは地修羅道,畜生道,餓鬼道,地獄道が苦しいのはもちろんのこと,人間道も天道も病老死の苦しみは避けられなく,避けられない苦しみがあるということは苦しい,すなわち輪廻は苦しいものだと説き,その苦しみから開放される唯一の方法が修行し悟りを開くことであるとしました。

 

 

[第5章 輪廻は本当にあるのか]

 

輪廻の存在を証明することは極めて難しいです。瞑想家や宗教家は自身が深い瞑想で仮死状態になることを経験すると,つまり本当に死んではいないが自分にとってはほとんど死に等しい状態になると,その時の体験が本当のことであるかもしれないと考え始めます。実際私自身も深い瞑想や宗教的体験でそのようなことを体験しましたし生まれ変わりを深く信じています。
また,イアンスティーブンソン氏がヴァージニア大学で行った生まれ変わりが存在するか否かの研究では,前世を語る子供2600人を調査し,その事実確認の突き合わせ作業を行った所,約7割が事実と一致しました。しかしこれは地球上にいる70億人のうちの数千人の話ですから一般性はないという反論もあります。また、世界的にも著名な科学者であるカール・セーガンは輪廻転生について「私は信じないが,調べてみる価値はある」という姿勢を見せました。まとめると,輪廻転生があるという確証もなければ,ないという確証もない,つまり輪廻転生を信じることも信じないことも出来る となります。


以上で今回の投稿は終わります。最後まで読んで下さりありがとうございました。他に書いて欲しい記事のリクエストや質問,感想などあれば私のTwitter(@coven_c)にDMしてください。

 


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