CobaltDiary

宗教(特に仏教),瞑想ヨーガ,思想,雑記など。雑記と書いてある投稿はツイートの延長のようなものだと思ってください。Twitter:@coven_c

「最善」を尽くすための初期思考


あらかじめ言っておきますが,この投稿は完全に私の思想であり,一般的なものではありません。
信じ込まないようにお願いします。
それではいきましょう。
「最善を尽くす」
日常生活でもたまに耳にする言葉ですが,実際にそれを実行してる人はどれ位いるのでしょうか。
このことを説明するにはまず,初めに,「自分の周りからマイナスを取り除くための思考」について説明していく必要があります。
自分の周りから自分にとってマイナスになるものを除くには,「自分がするべきこと」と「自分がするべきでないこと」を明確な判断基準を設け区別する必要があります。感覚で判断するのではなく,明確な基準を設定します。
なぜなら,咄嗟の判断で間違った選択をする可能性は,以前から作り上げた基準(:マニュアル)に沿って行動して間違った選択をする可能性よりもずっと高いからです。
こういった基準は,日常生活を繰り返すことでアップデートします。
このような基準を設けることは自分の行動の大部分を「するべき行動」にするための手助けとなります。
他にも,「するべきでないこと」をしないための思考があるので紹介します。
仏教思想のひとつ,「二諦(にたい)」という考え方で,「2回良くないことが起こったらその行動を諦める」というものです。
(二諦は「真諦」と「俗諦」の二つのことです。真俗二諦ともいいます)
わかりやすく例を挙げて説明してきたいと思います。
例えば買い物に歩いて行こうとして,道で転びかけて(1度目),数分後に車道を走る車にクラクションを鳴らされた(2度目)とします。
この場合,「買い物に行くこと」を「するべきでないこと(俗諦)」と判断し,買い物に行くのを辞めます。
このように,「買い物に行く」という一見普通の行為も,2度マイナスなことが起きると「するべきでないこと」となります。
この考え方を先ほど記載した「明確な基準」に取り入れ,他の基準と重ねて適応すると、自分の行動が20~30%ほど制限されます。
つまり,普段日常的に行う行動のうち,20~30%ほどは「するべきでないこと」に相当すると考えることができます。
「最善を尽くす」にはこれがまず重要なことだと私は考えています。
以上で今回の投稿は終わりです。 最後まで読んでくださりありがとうございました。